東京都新島村特産 あめりか芋

あめりか芋は、東京都新島村につたわる希少なサツマイモです。

伊豆諸島への海の玄関口、東京都港区の「竹芝桟橋」から南へ約160kmにある新島と式根島。
ここに暮らす島民たちから「あめりか芋」と呼ばれ愛される白いサツマイモがあります。

各家庭で自分たちが食べるためだけに作られてきたこのあめりか芋は、ほとんど販売されることのない希少なサツマイモ。
砂で覆われ稲作のできない新島村では、貴重な食料源でもありました。

あめりか芋は、一般的に「七福」といわれ、貯蔵性の高く、また貯蔵することで糖度が増してくる「密芋」タイプのサツマイモです。

外皮は薄い黄色で肉色はクリーム色。掘り起こしたばかり時の肉質は「粉質」、貯蔵後には「粘質」になります。島民たちは、粉質のあめりか芋のことを「こうき」と、粘質のものを「びんす」と呼び、この芋に親しんできました。

あめりか芋がいつ新島村へ導入されたのかは、確かではありませんが、島に住む90歳ぐらいの方々は、決まって「子どものときは食べていた」と答えます。

七福が日本に伝わったのが明治33年(1900)。大正時代か昭和の初めには新島村で栽培が始まっていたと思われます。


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新島とあめりか芋の歴史

新島の歴史は、サツマイモを抜きにして語ることはできません。それはサツマイモが、かつて新島の人々を飢饉から救い、
また島民の暮らしに劇的な変化をもたらした農作物だからです。

新島にサツマイモが伝わったのは、享保二十年(1735)といわれています。8代将軍徳川吉宗の時代に、甘藷先生として有名な青木昆陽が、新島へも種芋とともに栽培・貯蔵の方法をまとめた小冊子を送り、栽培を奨励したのがはじまりです。

砂地のため稲作ができなかった新島では、サツマイモが導入されるまえまでは、麦・里芋・粟・大豆・ササゲ・大根や菜物などが少々栽培されていました。しかし、厳しい自然条件と低い生産力からたびたび飢饉に襲われていたといわれています。

そのような状況のなか、サツマイモ栽培が成功したことにより、島の生活事情は大きく改善されていきました。

新島に残る史料からは、18世紀の後半には、サツマイモが新島の主要な食料となっていること。さらに島民の食を充たすだけでなく、島外へも出荷できる作物へと育っていったことが分かります。

またサツマイモ栽培のため耕地が盛んに開墾され、新島全体の畑の面積も、18世紀後半には同紀前半の5倍以上に増加しています。

なんとサツマイモから「澱粉」をとり、「醤油・酢・焼酎」を造っていたという記録も残ります。まさにサツマイモは新島の生活にとって欠かせない農作物として、定着していったのでした。

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なぜ「あめりか芋」が新島に定着したの?

江戸時代に新島へサツマイモが導入されて以来、様々な品種のサツマイモが新島へもたらされたと予想されます。では、その中でもなぜあめりか芋がこの島に広く定着し、島民に受けいれられていったのでしょうか。

その理由は「あめりか芋」のもつ2つの特性にあると考えられます。

1つ目の特性は、この芋がやせ地を好むということ。

新島の土壌は砂質が強く、島内の畑土はあまり粘土分を含んでいません。つまり新島の土は、保水力が低く、肥料分を保つ力も弱い土なのです。一般的にサツマイモは、肥料分の少ない砂質土壌を好むといわれていますが、このあめりか芋はその特性が強く、そのような条件が強い場所でも栽培することが可能です。

2つ目の特性は、この芋は長期の貯蔵ができるということ。

稲作のできない新島では、昭和30年代ぐらいまで、「サツマイモ」と「麦」が主食でした。そのため秋に収穫した「サツマイモ」は、翌年5月ぐらいの「麦」の収穫まで、貯蔵しておく必要がありました。

そしてその時期まで腐らず保存することができたサツマイモが、この「あめりか芋」だったのです。

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あめりか芋栽培の伝統は、新島のひとびとの知恵の歴史です。

現在のように様々な肥料がなかったり、購入できなかったりした時代、島民たちは身近に手に入る資材であめりか芋を栽培してきました。

この地域では海岸に打ち上げられた海草のことを「ムク」とよびますが、この「ムク」を拾い集め、あめりか芋を栽培するウネ下に施し、ミネラルの供給源としました。 またオオバヤシャブシの葉や小枝を山や畑から刈り集め、これもウネ下に施し堆肥のように利用しました。

このような自然の産物を活用してあめりか芋は栽培つづけられてきたのです。

ところで新島・式根島では、かつてどの家にも「芋穴」という芋を保存する穴が、床下につくられていました。今でも昔ながらの島の家では芋穴があり、活用しているお宅もあります。

この「芋穴」の壁は、島で採石される「コーガ石」という軽石のブロックを積み上げてつくられていて、温度や湿度を一定に保ち、あめりか芋を長期間腐らせず保存させることができました。

昔の島の子のおやつは当然「サツマイモ」。お腹をすかせた子供たちは、この「芋穴」に潜り込み、芋を取り出してはおやつにしたそうです。


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あめりか芋を通じて農業活性化の動きが芽生えてきています。

新島の歴史・文化・生活にとって縁の深いサツマイモ。特にあめりか芋を活用してこの地域の農業を盛り上げていこうという動きが最近芽生えてきています。

新島の焼酎メーカー「(株)宮原」さんがあめりか芋の焼酎づくりに挑戦しはじめたのが平成15年。限定本数しか製造されないこのあめりか芋の焼酎「芋」は、島の新しい焼酎として島民のみなさんに愛されるブランドに育ってきています。

また地元の農家さんたちが、この焼酎の原料のためのあめりか芋生産を本格的に取り組みはじめています。 これまで手グワで栽培していたあめりか芋栽培に、小型の農作業管理機を活用。作業の効率化と生産量の増加をすすめています。

さらに新島村ではサツマイモのイベント「芋フェスタ2009」を平成21年12月に開催しました。

目的は、「あめりか芋を通じた農業振興に地域をあげて取り組もう」ということ。 あめりか芋の生産・販売・加工に関わる方々や東京都や新島村の行政に携わる方々がそれぞれの活動について発表しました。 平成22年12月にも「芋フェスタ2010」を開催の予定。あめりか芋の芋粉を使った料理のコンテストや、加工品製造のための勉強会などを予定しています。

ところで新島高校の3年生たちが、あめりか芋の栽培に平成16年から取り組んでいます。彼らが作ったあめりか芋は、焼酎メーカーによって焼酎に生まれ変わり、その焼酎は大人の門出を祝う酒として彼らの成人式に花を添えます。
平成22年で7年目を迎え、伝統的な活動に育ってきています。

今後の発展が大いに楽しみなあめりか芋です。

みなさまもこのサイトを通し、ぜひあめりか芋に親しんでみてください。


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