自戒も込めホンモノ志向宣言~イミテーションと現実の狭間で 村井 謙治
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「イミテーション」とくれば、ある年代以上には「ゴールド」という答えが返ってくる気がします。もちろん、阿木・宇崎コンビの作詞作曲、山口百恵さんが歌った「イミテーション・ゴールド」です。意味深長な歌詞の内容に加え、「模造の金って何」。高校生だった自分にはなんとも想像しにくい、女と男の恋愛事情でもありました。
▽天才の悲哀
さて、「イミテーション」の後に「ゲーム」と続く、英映画「イミテーション・ゲーム」(2014)をご存知でしょうか。現代のコンピュータ技術発展への道を切り開いた一人、数学者アラン・チューリング(1912〜54)を、英人気テレビシリーズ「シャーロック」の個性派俳優ベネディクト・カンバーバッチが演じ、アカデミー賞脚色賞をとった作品ということで、映画館に出かけてみました。
副題は「エニグマと天才数学者の秘密」。見終わった第一印象は、チューリングの苦悩や悲哀をていねいに描いており、無念な気持ちを抱きつつ、41歳で世を去ったのだろうか、と思いを馳せました。難解な専門用語はほとんどなく、映画制作者側の先人への敬意でしょうか、天才にありがちな驕りは抑え気味で、エンターテイメントでは終わらない秀作、との感想を抱きました。
チューリングは日本での知名度はもう一つかもしれませんが、2002年に英BBCが発表した「もっとも偉大な英国人100人」で、21番に格付けされている英国の偉人です。米誌タイムが選んだ「20世紀でもっとも重要な100人」にも入っています。
アラン・チューリングの像
▽ブレッチリー・パークへ
なぜ、この映画に興味を持ったのか。第二次世界大戦中、ドイツ軍が解読不能と確信していたエニグマと呼ばれた暗号機を用いた暗号。エニグマは広義にはこの暗号全体を指すこともあります。この暗号を解読した英諜報組織傘下のグループ、通称ウルトラであり、中心メンバーの1人がチューリングです。ドイツのUボートや地上部隊、軍中枢との間の重要な暗号電文の通信を敵対する英国が傍受し、解読に成功した諜報戦に興味を抱いてました。このテーマの映画を見逃すわけにいきませんでした。
日本でもエニグマやチューリングに関する翻訳本は出版されており(一部は近刊)、フィクション的要素も含めたロバート・ハリス原作の映画「エニグマ」(2000)もあります(原作「暗号機エニグマへの挑戦」も面白かった)。英国へ出かける機会があれば、一度、暗号解読の本拠地となったブレッチリー・パークの元英政府暗号学校(GC&CS)へ行ってみたい、と願っていました。
2009年8月、ブレッチリー・パークをたずねた筆者
▽暗号解読機に興奮
2009年夏の短期休暇の際、そんな望みが実現しました。ヒースロー空港から、ロンドン北郊のブレッチリー・バークへ向かいました。列車とバスを乗り継いだ先には、GC&CS本部が置かれていた赤煉瓦づくりのお屋敷と、hut(小屋に意味)と呼ばれた木造平屋の建物群などが博物館として残されていました。展示品の中でも、タイプライター型の木箱に入ったエニグマ本体、整然と配置された多数の円盤が回転し、暗号を解読する「ボンブ」の再現機。これらを目の当りにし、「諜報戦の舞台裏」に触れた思いで熱くなりました。当時のドイツの暗号技術とその広汎な応用、そしてその解読にかけた英国側の知的・技術水準の高さをあらためて実感し心が高ぶりました。
木箱におさまった、一見タイプライターのような暗号機エニグマの本体
第二次世界対戦当時、ドイツと同じ枢軸国側だった日本軍の暗号もまた、米国に解読されていたことはよく知られていますが、このGC&CSやその関係機関も日本海軍の暗号解読などに一役買っていました(売店で日本軍の暗号解読に関する事情を紹介した英文解説書を手に入れたのですが、現在、手元になく中身を確かめられずにいます)。
英国が密かにブレッチリー・パークで開発し、エニグマ解読に用いていた「ボンブ」の再現機
チューリングに話を戻します。映画のタイトルとなった「イミテーション・ゲーム」という言葉は、彼が37歳の時に発表した代表的な論文「計算機械と知性」で論考した、「機械は考えることができるか」で用いています。高橋昌一郎著「ノイマン・ゲーデル・チューリング」では「モノマネ・ゲーム」と訳されています。コンピュータがどれたけ人をまねることができるか、後に彼の名を冠しチューリング・テストと呼ばれる方法を提案したのです。
映画のタイトルはこの意味に加え、ドイツ軍の裏をかこうと、解読の事実がドイツに伝わらないように自軍側の犠牲も放置したという英国の欺罔(ぎもう)工作や、極秘任務を遂行しながらも戦後もなかなか国家機密を解かれず、世に功績を知られずスキャンダルまがいの逮捕の末、逝った天才数学者の人生の裏面、なども重ねているように感じます。
ちなみに、ブレッチリー・パークでの暗号解読の事実が明かされるのは、彼の死後20年ほど経たのちの1970年代。この地が一般公開されるようになったのも2000年代に入ってからといいます。エニグマの解読をはじめとするGC&CSでの隠密裏の諜報活動が、第2次世界大戦での英米連合国を勝利に導いたとして、特に英米では今後も語り継がれるのでしょう。2009年、当時のゴードン・ブラウン首相が政府を代表して故チューリングに対し謝罪したことで、あらためてチューリングの偉大さやその活躍が注目されるようになったのは間違いありません。その流れに今回の映画製作もあるようです。
▽世に溢れるイミテーション
《enigma simulator》や《enigma emulator》というキーワードでインターネット検索をしてみると、オンラインで実際に暗号変換をパソコンやスマホで簡単に実体験できるようなものが、いくつも見つかります。個人の電子携帯端末でこんなことができるようになるとは、40年近く前、高校生だったころの自分には思もおよびませんでした。大人の恋愛事情にも技術革新の行く末にも疎いのは、今も昔もあまり変わりませんが。
ただ、この話題を取り上げさせてもらったのは個人的な興味からだけではありません。日々の出来事は現実ではありますが、同時に「ホンモノ」でないものが以前にも増して世に溢れているように感じるのは、私だけでしょうか。世の中はさておき、自らが「イミテーション・ゲーム」を演じてはいないか。自戒を込めてここに書きしるし、日々の島での診療を「ホンモノ」にするよう心がけたい。ちょっと堅苦しい話になってまいましたが、そんな決意も込めて紹介させてもらいました。(文・写真 村井謙治・医師)
《計算理論に興味のある方の手がかりとしては以下をご参考に》
高橋昌一郎著「ノイマン・ゲーデル・チューリング」、筑摩書房、2014年
高岡詠子著「チューリングの計算理論入門」、講談社、2014年
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