史跡・名勝
富士見峠展望台
真っ青な海と白い砂浜、何処までも澄みきった高い空、緑が生い茂る山々。
そして古くから守られてきた伝統と歴史。
この自然と歴史こそが新島の魅力です。
あなたの旅をより一層充実させるため、新島の見どころをご案内いたします。
名勝
石山展望台
向山にある新島固有の資源であるコーガ石の産地で、壮大なスケールの採掘場の面積は数平方キロと言われています。
採掘場を抜けると眼下に広がる青い海とそこに浮かぶ島々を見渡すことができます。
富士見峠展望台
新島最高峰の宮塚山の中腹にある展望台。
眼下には本村の集落、式根島、神津島、三宅島を、晴天の日には伊豆半島・富士山を一望することができる。
夜景スポットとしても有名で、満点の星空と眼下に広がる町灯りは見るものすべてを魅了する。
羽伏展望台
世界的サーフスポットとしても知られ、6.5km真っ白な砂浜の羽伏浦海岸を一望できる。
晴天時には三宅島・御蔵島を一望できる。
新東京百景にも選ばれている名勝地である。
渡浮根展望台
若郷集落、渡浮根漁港を眼下に、海の向こうに利島の島影を見渡せるコーガ石で造られた展望台。
白ママ断崖
高さ30m~250mの地層が約7kmに渡ってむき出し、真っ白な絶壁と紺碧の海とのコントラストが見事。
国立公園特別保護地域に指定されています。
※正面から見るには、海上及び上空からでないと見る事ができません。
史跡
天宥法印の墓
新島流人と言われている天宥法印。
宗教上の理由などで領主と争い、その罪で出羽国羽黒山から75才のとき、新島へ流罪となりました。
高齢にも関わらず、新島では読み・書き・そろばん・農業技術を教え島民から大変慕われていたそうです。
向畑刑場跡
島に残る『新島流人帳』によると、1668年から1871年までに罪人として、新島に流されてきた数は1,333人。
そのうち島にきてからも、殺人・放火などの重罪を起こした11人がこの刑場で処刑されました。
相馬主計の碑
新撰組最後の隊長と知られる相馬主計は、坂本竜馬殺害に関わったとして『流罪終身』となり、明治三年に流刑となった。
新島における相馬は新島の娘と結婚し、寺子屋を開いて島の子ども達の教育にあたり、村民に師として慕われていたが、流刑制度廃止に伴い赦免となり、妻と伴に新島をはなれた。その際主計がうたった和歌を石碑としている。
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流人墓地
共同墓地の一段低い所にある、流人達の御墓。
118基納められ、生前好きだったものを形どった酒樽やサイコロの墓石があります。
上木甚平衛(飛騨んじい)の墓
飛騨高山の名手で、農民一揆の首謀者として流罪になり62才で島へ流れてきました。
85才でなくなるまで、田畑を手伝ったり、読み・書き・そろばんを教え、島の生活に貢献し、島民から慕われました。
上平主税の歌碑
大和十津川の郷士で参議横井小楠を暗殺した一味として、明治3年に新島に流されてきました。
学識が深く、医術にも長けていて種痘の実施を訴えたり、寺子屋を開くなど大きく貢献しました。
島を離れる際に流人達の供養塔を建て、その裏面に歌を残しました。
なぞの榎
1871年まで流刑の地であった新島。
寛政10年、流人清右衛門が罪に問われ処刑された際、清右衛門は、自分の無実を叫んで、その証として法燈塚に榎をはやすと訴えて死んでいった。
まもなく、法燈塚に榎が生えてきたことから、その霊を慰めるため墓石が建てられたと伝えられている。
位置図
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